第41回ワイズ句会
私の3句
無花果やその正体は異星人
山頂の廃墟の庭に柿五つ
路地裏の猫は木枯しに震える
参加者もコロナ前までとはいいませんがかなり増え、まじめあり、笑いあり、涙なしの楽しい会でした。
音楽仲間のジョビン(ボサノバのアントニオカルロスジョビン)の句に感銘したり、
ジョビンを知らない人がこの句に出会って初めてジョビンを聴いて感動したり、
連体形と終止形という会話が出てきて頭が痛くなったり、
大ベテランの句の解説に感動したりと、、
忙しくも良き時間でした。
わたくし、俳句の母(俳句のイロハを教えてくれた方。私の中で刷り込み方式で母と認定されている)と一草庵へ久しぶりに吟行に行ってきました。
2句目はこの時のものです。
「一草庵」は、自由律俳人、種田山頭火の終焉の場所です。山頭火は、大正15(1926)年、一笠一杖一鉢の行乞行脚の旅を始め、その間、山口県小郡町に「其中庵」、湯田温泉に「風来居」を結びますが行乞を止めず、自然と一体となり、自己に偽らず、自由に一筋の道を詠い続けました。昭和14年(1939)年12月、友人の好意により御幸寺境内に庵住、「一草庵」と名付けられました。在庵10か月、昭和15(1940)年10月11日に永眠。享年59歳。
松山市HPより抜粋
この一草庵のある御幸地区はお寺が多くとても風情のある場所。
ここに偉人が住んでいたんですね。
山頭火は幼いころ父親の不貞により母が自殺、弟も後年自殺。。
自身は結婚もし、子供もいたのですが、生い立ちによるであろうと思われる、生涯埋められない傷を心に負い、生涯一つ所に安住することができなかった。
酒を飲み放浪を繰り返し死に場所として選んだのがこの一草庵だったそうです。
庵内に展示されている句や日記をざっと読んで行ったのですが、
いちばん心に残ったのが「猫に飯を食われた」
若輩者の私にはまだ自由律の句の良さや解釈が難しいのですが、
山頭火がここまで有名になったのは、人間的にどうであれ
句がすばらしかったということにつきる。
支援者が後をたたなかったそうな。
今でいえばアル中の浮浪者なのかな。
句を作ることでしか生きられなかった山頭火。
芸術(文学や音楽)が人を救うということを実感を持って知りました。
次は子規記念博物館に行きたいな。